2台を送り出し、ピットも片付けて撤収します。
エンセナダまで戻るのも、長い距離を走らなければ成りません。
標高の一番高いところに到達し始めた頃、夜が明けて赤く染まった雲がとても綺麗でT木さん、画像が撮りたいと言うので空き地に車を止め画像撮りしました。
メキシコらしくサボテンも入れて朝を撮ります。
数時間走り、Baja半島の反対側でピットを設営しているN広君と携帯電話で連絡してみます。
なかなか通じず、何度かトライしているうち、繋がりました。
N広君からのレポートによると、OG原さんは通過したのですが、S藤君は依然来ないと言う事です。
数時間国道R-1を北上して昼ごろエンセナダのモーテルアメリカに到着。
すでに、本林君が居て、私たちは寝不足で取り合えず、寝る事にします。
寝てる間にスタッフのN広君とY織君が着いています。
S藤君、私たちと分かれた後にすう数キロ先で転倒しバイクが動かなく成ったと言います。
そこに他チームのキャリヤカーを付けた車に助けられ、ここモーテルアメリカまで運んでくれたそうです。
暫く寝てOG原さんもまだ戻らないので、フィニッシュ場に行って見る事にします。
フィニッシュにはまだ、ラインが設営してありOG原さんが来るかと、待ちますが一向に現れません。
時折、帰って来るバイクや車も有りますが、まだ来ません。
そろそろ心配に成って来ました。
本林君もT木さんも心配しています。
とうとうフィニッシュの施設も片し始め、我々も仕方なくモーテルアメリカに戻ります。
モーテルアメリカに着くとOG原さんが居ました。
ゴールのタイムオーバーなのが分かっているので、直接ここに戻ったと言ってます。
「あ!~ツ・カレタ・・・」と本当に疲れ切ってます。
このモーテルに泊まってる他の車チームの人がOG原さんがソロでここに完走したと言ったら、Oh-!!クレ~ジ~!、Oh-!!グレートと,記念写真撮ってくれと言てます。
今晩はエンセナダの中華飯店「ニューペキン」ですか!
明日積み込み、昼頃から、ロスに向かいます。
2003Baja1000も終わり、日本へ帰国します。
2003年、11月~12月。
最後のピットでライダーを送り出してゴールに向かう時は、
我々スタッフもやっとここまで来れたという達成感と、
とにかくたどり着いて欲しいという祈りとで、いつも複雑な感じですよね。
ゴールでの最後のお出迎えは今までの苦労が報われる瞬間です。
それがたとえ時間切れでも完走をみんなで分かち合いたいものです。
帰って来ないライダーを待ち続ける時間というのは
それはとても長く感じられ、もしやという不安が夜の寒さと共に
体に浸み込んで来ます。
今まで何人ものリタイヤを見て来ただけに・・・・。
レースを追っかけている事自体はBajaレースも全日本MMXレースもピットを作ってレースを消化するのは同じです。
全日本は一定の場所でサポート作業をし、サインボードなどを出して指示したりゴールして次のヒートまで整備して行けば良いのですが、
Bajaレースはスタートしてから早めにミートポイントに着き、待ち、サポート作業し、送り出しの繰り返しを行い、到着予定時間も過ぎて来ないと、
あれやこれやと詮索、情報収集、と時間ばっかり過ぎて心配の状態が何時間も続く、慣れてはいますが、
その来た時の喜びと安堵、良くここまで辿り着いたと、ピットサポートの醍醐味も味わえる、良い経験が出来るBajaレースだと思います。
サポートとしての喜びと、また来たいと言う気持ちが続くのも、
何とかしてピットに着き、辛いコースをゴールして来るメンバーの顔が何とも遠い地で
共有できるのが、とても良い経験です。
なにせ、日本では殆どスタッフ皆と行動も会うこともしていないのに、一年に一回のBajaに居る時に会い作業が出来る、
それはとても凄い事に思えます。